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天 球 儀

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蒼天の系譜 【第三幕】 ...06

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【第三幕】 砂塵に舞うは


06







 地面に熱を閉じ込めることのできない環境にある砂漠地帯の夜は冷える。真夏はともかく、真冬ともなると氷点下まで下がることも少なくない。幸い今はまだ真冬と呼べるほどの季節ではないが、それでも昼間は強い日差しから肌を守るための外套が防寒具になる程度には冷える。しかし野営に使うオアシス地帯はまだ湿度が多少あるせいか、砂地よりかはいくばくかマシではあった。
 ティアラは冷えないように外套の前をしっかり合わせ水辺に腰かけると、そのまま自分の頭上を見上げる様にして首を反らせた。人工的な光と呼べるものは、少し離れた場所に置かれた野営地から漏れてくる炎とランプの光くらいで、それ以外は深い闇に包まれている。今夜は新月なので月の明かりもなく、空を埋め尽くしている星の瞬きを邪魔するものもない。空を縦断するように幾つもの星が折り重なってできた天の川も、今夜ははっきりと確認できた。
 かつてこの世界は創造神ガイアが作ったのだと言われている。大地と海を作り、人を生み出し知恵と知識を与えた。そして精霊神ルビスは、ガイアの手助けをした神であったと伝えられていた。
 そんなのは伝承でしかないと思っていた。幼い頃から本で見るたびに、匿われたガイア神殿の司祭様に諭されるたびに、伝承は人が作ったものでしかないと思っていた。信仰心を煽るために、人々を先導するために。その為に都合のいいように作られた程度の物でしかないと。
 なのに。自分の身体に宿る力は、そんなおとぎ話でしかないと思っていたはずの伝承にリアリティを与えた。神は存在するのだと。
 ではなぜ、そんな力が自分の身体に宿っていたのか。少女が城から出ることを許されなかったことは、おそらく無関係ではないはずだ。そしてそれは、母も同じだったらしい。らしいと言うのは、ティアラも人から聞いただけの話なので確証はない。
 ただ母も同じように城から出ることを許されず、外の世界を知らないまま父を婿として迎えて自分を産んだのだ。この力は遺伝する。すなわちそれが、賢者の家系と呼ばれるゆえんになる。


「あぁ、もう……!」


 外套の隙間から手を出して、苛立ったように前髪をかき上げる。分からないことだらけで、本当に腹が立つ。
 神の力というのは大げさかもしれないが、でもそれに近いものが自分の中に宿っているのだというのであれば、どこかでそういう血が混じってきたことは間違いない。
 でもどこで? それこそ、神話の時代から脈々と受け継がれているとでもいうのか。おとぎ話が現実にあったと? まさかルビスが自分の血を残したとでもいうのか。世界の危機を、来るか来ないかもわからないそんな不確定な危険を予測して?
 そう。精霊神ルビスはこの世界で信仰されていない。なぜなら彼女はガイアを裏切ったとされているからだ。
 この世界において、ほとんどの人間が創造神であるガイアを信仰している。だからルビスを信仰するということは、極端に言えば邪教。よくても異端扱いされる。だからルビスを信仰する人々だけで住む島が、世界のどこかに存在すると聞いたことはある。
 となれば、ネクロゴンド王家はなぜ王家として残ったのか。仮にルビスの血筋であると知られていれば、国として認められるはずもない。ならば。
 隠されて、王家として残された? 残される意味が、残さなければならない理由があって。そう考えるのが自然か。

    そもそも神様って、子孫とか残すわけ?

 それが一番の疑問ではある。神の姿が確認されない今、それこそおとぎ話として笑われそうな内容だ。それでもエルフの女王が見定めたのであれば、間違いはないのだろうが。
 分からないことばかりでイライラすることにも違いはないが。野営地にいたくなかった理由は、そんなことではなく。いや、一人で静かに考える時間が欲しかったというのもある。自分自身にそんな言い訳をして。
 実際のところは、リベルティーナとユウを見ていたくないというのが本音だ。あの二人を、というよりリベルティーナを見ているとイライラする。
 彼女はことあるごとにティアラを挑発してくる。大したアピールではないので、もしかしたらティアラ以外は誰も気が付いていないかもしれない。ユウにへばりついて目くばせ、意味ありげな微笑、その態度。上手く説明できないが、空気が目に見えるのならピリピリとした電流みたいなものか、あるいは静かに燃えあがる炎が見えるかもしれない。そしてそれは明らかにティアラに向いている。
 なのに彼女はティアラにも懐っこくして来る。一座に同年代の人間がいないせいも手伝ってか、ティアラにもやたらとベタベタしてきて親し気に話しかけてくる。話をすれば悪い人間だとは思えないが、ユウが絡むと別人のようだ。
 マダム・イデュンは、彼女は男女関係なく自分の気に入った人間にはそうなのだと言うことらしい。現にサリや他のメンバーには見向きもしないのだ。あくまで、ユウとティアラにだけ。
 単に自分たちを暇つぶしかなんかに弄んでるだけではないかと思いもしたが、ユウの事を別にすれば、彼女は本当にティアラと楽しくおしゃべりがしたいだけという印象を受けるので、寄って来たのを変に無下にもできず余計扱いづらい。そして全く読めない。
 ユウはなるべくリベルティーナを引き離そうとしていることが分かるし、ティアラを気にかけてくれているのも分かる。でもだからと言って自分からあの二人の間に割って入れるかと言えば、それもできなかった。そもそもそんな図々しいことができれば、一人でこんなうじうじ悩んだりはしない。


「単独行動はいただけないなぁ」


 突然背後からかけられた声に驚いて飛び上がり、反射的に振り返った。そこにいたのはカンダタで、振り返った少女の顔を見た彼は、一瞬きょとんとした後すぐに薄く笑みを浮かべた。


「そんなあからさまにがっかりした顔されると、傷つくなぁ」

「別にがっかりなんて……そもそも、そんなことで傷つくような性格?」

「辛辣だなー。俺こう見えてもナイーブなんだよ?」

「それ絶対、ナイーブに謝った方がいい」


 微妙に笑ったティアラにカンダタは小さく肩をすくめるだけにとどめ、そのままティアラに並ぶように腰を下ろした。


「ま、でも一人ってのはちょっとな」

「……うん、ごめんなさい」


 でも、と続けようとして唇を噤む。一人で考えたいことがあった、というのも嘘ではない。だからと言って馬鹿正直にあの場にいたくなかった理由を言う気にもなれず、ただ謝るだけに留めた。が、カンダタはティアラの顔を見てどこかおかしそうに笑い。


「リベルティーナのことなら、気にするだけ無駄だぞ」


 あっさり指摘されて少女が思わずぽかんとする。それがカンダタの指摘を肯定する仕草になってしまっていることにすぐ気が付きはしたが、カンダタのしたり顔を見て取り繕うのは無駄な行為だとあきらめた。


「悪い子じゃないとは、思うんだけど……」

「少なくとも、良い子は出来上がってる男女の仲をひっかきまわすような事はしねぇな」


 肩を落としながら両膝を抱えた少女に、くつくつと笑いながらカンダタがティアラの言葉を否定して見せる。
 思わずハスを尖らせて横目でカンダタを睨みはしたが、彼はそんな視線をものともせずだから無駄なんだよ、とひらひらと手を振った。


「あぁいうのは、まともに相手してやると余計につけあがる。おまえもユウも箱入りの世間知らずで、人を疑うって事を知らない分、余計に乗せられておちょくられてるだけだ」

「なんの意図があって……」


 リベルティーナとはアッサラームで出会ったばかりで、しかもティアラは彼女を助けた人間だ。恩着せがましいことを言うつもりもないが、彼女にそんな嫌がらせのような事をされる心当たりがない。
 恨まれたり嫌われたりするようなことを、知らない間にやってしまっていたのではないかと考えてみはしたが、それも思いつかない。あるいはティアラがしていたことが、リベルティーナには不快に感じられたということもあり得なくはない。それでもやはり理不尽ではないだろうか。
 正面からはっきり言ってくれた方がすっきりするのに、わざわざネチネチと嫌味のように嫌がらせされるのは腹も立つが、いちいち腹を立てると今度は辟易してきてしまう。そうなると、だんだん色々な事がどうでもよくなってくる。そうなってくると今度はもしかして彼女の狙いはそこだろうかと勘ぐって、疑心暗鬼になっていく。信じたいのに、ユウの事も信じられなくなっていくことが怖い。
 あからさまに不快そうに眉間に皺を寄せたティアラの呟きには、さぁなとカンダタも困ったように肩をすくめて苦笑した。


「オルテガがらみって可能性は、まぁ高い。オルテガと接点があったようだし、比較的懇意にしてたってことを匂わせてるからな。あるいは、リベルティーナの母親がオルテガに捨てられた意趣返しとか……」

「それはあり得ないって切り捨てたの、カンダタでしょう?」

「あり得ないとは思ってるけど、万が一って事もあるしな。こればっかりはリベルティーナに本意を聞かないことには、なんとも」

「何もわからないって事ね」


 呆れた様に嘆息するティアラ。そういうこと、とカンダタも若干うんざりしたように肩を落として頭上の星を見上げた。
 結局は彼女自身に直接問いかける以外に術はないと言うことか。けれどどんなに核心をつこうと話を持って行っても、気が付けば他の話に流されて行ってしまう。あるいはあからさまに誤魔化して話を切り上げてしまったり。
 しつこく問い詰めようと思えばできないことはないが、一度それをしようとしたら泣き出してしまって話にならなかった。彼女が泣けば当然、一座の人間がかばいに来る。あるいは彼女が感情的になってしまうので、それ以上の会話は望めない。泣くことに逃げるのは一番ズルい行為で、そのズルい行為を彼女は平気でやる。自分を守る術を彼女はよく心得ている。だから面倒なのだ。


「でも考えようによっちゃ、いんじゃないか?」

「なにが」


 頭上の星を見上げたまま漏らしたカンダタの言葉に、ティアラが鋭い視線を向ける。少女の表情を確認するようにカンダタは横目で一瞥をくれ、そう怖い顔するなと苦笑いする。


「地位的にリベルティーナとユウは、比較的釣り合ってるって話」

「……何が言いたいの」

「分かってて聞くのは、引導を渡してもらいたいって事か?」

「考えたくないって事」


 むくれてそっぽを向いた少女に、カンダタは笑うのを止めて視線を頭上から少女に戻してきた。その表情が思ったよりも真剣だったので、ティアラも僅かに眉間に皺を寄せながら自分を見据えるカンダタに視線を合わせた。


「……分かってる、よ。私はイシスのイシュタル陛下のようにはなれない。だから……」


 この旅がどんなに長いものになるかは分からないが、残された時間が少ないことも分かっている。長くなれば世界の破滅が加速するだけだし、遅かれ早かれ数年以内に何らかの決着がつく。
 問題なのはバラモスを倒せた後のことだ。十六歳が成人とはいえ、十代や二十代そこそこの人間が簡単に国をまとめられるはずはない。ましてや国政に携わったことのないティアラには土台無理な話だ。イシスのイシュタルは国を継ぐ立場の人間として、幼い時からすべてを学んできたからこそ今がある。ティアラもまずは勉強するところから始めなければならいないが、それでは国が成り立たない。
 一番手っ取り早いのは他国の王家から婿を迎えることだろう。国を追われたティアラと違って、彼らはしっかり学んでいるはずだ。すぐにでも国をまとめられる人間を迎えて王座につかせることで、より早く国を安定させる事ができる。立場で考えるのであればそれが最良の選択であることくらいは分かる。けれど。


「簡単に割り切れるほど、まだ大人でもないよ……」


 自分を見据えるカンダタの視線から逃れる様に、ティアラは抱えた膝に顔を伏せた。
 だってそうじゃないか。ずっと幼い頃から、ユウとの約束だけを支えにティアラは生きてきた。やっとの思いで再会して、こうして傍にいられるようになったのに、それを平和になったからはい、さようならだなんて。


「だから、今のうちに割り切ればいいって」

「そんな簡単に言わないで! 私が、どんなに……っ」


 軽い口調で他人事のように切り捨てられ、ティアラが勢いよく伏せていた顔を上げ声を荒げようとして。上げた顔のすぐ目の前に伸ばされた彼の手に、その勢いがそがれる。
 ティアラがひるんで息をのんでいる間に、伸びてきたカンダタの手は彼女の後頭部に回されて、そのまま彼の胸元まで引き寄せられた。頬に軽い衝撃を覚え、すぐにじんわりと身体全体に温かさを感じて思わず強張った。


「な、に……」

「俺にしとけ」

「……暑さで頭沸いてる?」


 喉の奥からどうにか絞り出したティアラの頭上で、カンダタが優しく囁く。まるで女性を口説く様な仕草と文句に、強張っていたティアラが脱力して引き寄せられている胸元を軽く押したが、意外にも彼の手が緩むことはなかった。
 訝しく思って顔を上げようとしたが、やはり頭部に回された手が邪魔をして彼の表情を伺うことができない。


「冗談じゃなくてさ」

「ちょっと待ってよ。だってあなたは……」


 緩まない手の力に冗談ではないということは薄々伝わってはいるが、カンダタはそもそもサマンオサ王家の王位継承者だ。しかも長子なので一番にその権利がある。カンダタを選ぶと言うことは、ティアラがサマンオサに入るということになるだろう。ティアラに必要なのはネクロゴンド王家に入ってくれる人間であって、サマンオサに嫁ぐという話は論外だ。


「俺は自分の国を継ぐつもりはない」

「え……」

「その話はまぁ……追々、な。でも国を継がないのなら、ありだろう?」

「そ、れは」


 ありかなしかといえば、もちろんありな話だ。それこそカンダタは自分の国で、国を治めるのに必要な事は全て学んでいる。もっと言えばこうして一緒にいる時間が長くなれば、ティアラのこともよく理解してくれる人間の一人になっていくだろう。見も知らない他国の人間を迎えるよりも、よっぽどマシと言うものではあるのだろうが。


「それは、どういう意図?」

「純粋な好意を、何か企んでるみたいに取られんのは心外だなぁ」

「普段の行動の所為でしょ」


 軽口に変わったカンダタにティアラは短く嘆息して、もう一度彼の胸を軽く押し返した。今度はあっさり手が外れて解放されたので、ようやくそこでカンダタの表情を確認するために顔を上げることができた。
 間近で見上げた彼の顔はとても端正だった。金糸を束ねた様な艶のある髪、ユウの透き通るような蒼さとは違った深い藍色の瞳、寂しそうな笑みを浮かべる口元、その輪郭。身体つきもその声色も、同年代のユウとはまるっきり違う。カンダタは確かに大人の男性なのだ。
 そう感じたとたんに、身を寄せ合っているのが急に恥ずかしくなった。頬が熱くなるのを感じて、思わず片手でその表情を隠そうとして、カンダタの手がそれを阻んだ。手首を掴まれて顔を寄せられ、彼から離れようと身体を引いてはみたが、掴まれた腕はびくともしない。せめてその視線から逃れる様に、必死で顔を反らしてはみたが、反らした顔の耳元でカンダタがなおも囁いてきた。


「何か意図があったとしても、俺にとってもお前にとっても悪い選択肢じゃないだろ?」

「わ、たし……は」


 囁かれる内容は、普通の女の子であれば決してときめく様な内容ではないだろう。ましてや女性を口説く様な文句でもないし、あくまでも立場を考えたらという前提での政略的な選択でしかない。問題なのは、彼の仕草だ。
 幼少期をほとんど軟禁状態で過ごし、それ以外は神殿からほとんど出ることなく生活してきたティアラの周りには、一般的な男性などほぼいないに等しかった。だからこんな間近で男性に、内容はともかく、甘美に囁かれるなどという経験はない。
 意志が弱い方だとは思わないが、心が弱っている時にそんな風にされたら揺らぎそうになる。それでもいいのかもしれないと、思いたくなってしまいそうで。


「……悪かった。ちょっといじめ過ぎた」


 ふいにカンダタが寄せていた顔と掴んでいたティアラの手首をはなした。きょとんとした少女に、カンダタが苦笑しながら肩をすくめる。


「冗談だったの?」

「いや、冗談じゃないさ。悪いと思ったのは、そんな簡単に割り切れないって分かってて話を振ったことだよ」


 ティアラは馬鹿にされたのかと思ってムッと眉間に皺を寄せてハスを尖らせたが、カンダタはなんでもないようにあっさりとそれを否定しながら少し意地悪そうに笑った。
 馬鹿にされたわけではなくとも、試されたことに違いはなく、ますます表情を険しくすると、美人が台無しだぞとカンダタが眉間に寄った皺を少女の頭ごと指先で押し込んできた。
 その勢いで少し後ろにのめり、彼の指先が離れた眉間を不満そうに撫でつける少女を小さく笑いながら見つめ、すぐにでも、と緩んだ表情を引き締める。


「それも選択肢の一つだって、覚えといても損じゃないんじゃないか? いつかは選ばなきゃならない道なら、選択肢は多い方がいい。気持ちだって、選ばなきゃならない時が来れば嫌でも追い付いてくるさ」

「……うん……そうだね」


 ティアラが小さく頷いた頭を、カンダタが小さく叩く。視線だけ上げた先で、彼は優しく笑っていた。大人の余裕というのは、こういうのを言うのかもしれない。年齢に大差ないリベルティーナ一人にひっかきまわされてる自分たちの、なんと子供な事か。
 こうして大人組と自分たちを比べてみると、何故か急に気持ちが冷めて客観的に自分を見ることができた。今までは目の前のことに精一杯でちっとも冷静ではなかったのだと分かる。
 どこかで見かけた本に、恋は盲目だなんて言葉を見かけたことがあったが、あながち間違いではないのかもしれない。
 なんだか可笑しくなって小さく肩を揺らして笑うティアラを、カンダタが不思議そうに首をかしげて眺める。


「ごめん、ありがとう。なんか冷静になれた気がする」

「うーん……別に背中を押そうと思ったわけじゃないんだけどな~」

「でも違うってわけでもないよね」


 暫く抱えた膝に顔を伏せてクツクツと笑い、顔を膝に乗せたままカンダタに視線だけ向けてティアラが笑った。
 おどけた仕草で肩をすくめていたカンダタは唇で弧を描くだけの留めていたが、なんだかんだ言いながら面倒見はいいのだ。
 彼の提案はもちろん冗談ではないのだろう。でもそれ以上に、ティアラやユウのことを案じてくれている人間の一人でもあるのだ。


「ティアラ! こんなとこにいたの!?」

「セリア? どうしたの?」


 お互い顔を見合わせて笑っていると、突然背後から聞き慣れた大声が響いた。きょとんとして振り返ったそこには、案の定セリアが立っていたが、何故が酷く動揺しているようだった。
 セリアは訝しそうに顔をしかめるティアラに近づくと、早く! と少女の腕を小さく引いた。


「いいからとにかく来て! サリが……!」


 彼女の口から出てきた名前にティアラとカンダタは再び顔を見合わせ頷きあうと、立ち上がってセリアとともにキャンプに向かって駆けだした。



20170809 初稿

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蒼天の系譜 【第三幕】 ...05

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【第三幕】 砂塵に舞うは


05







 どこまでも続く砂地。遮る岩もほとんどないので、常に吹きすさぶ風がその砂を舞い上げ、そして風紋を描いていく。
 その紋を綺麗だ、なんて思えたのはそれこそは最初に見た時だけで、今思うことはとにかく熱い。暑いではなく熱いの一言に尽きる。
 確かに風は吹いているが、湿気を一切含まないその風はほぼ熱風で、しかも砂塵を舞い上げて容赦なく吹き付けて来る。もちろん、先に述べた通り風も日光も遮ってくれるような岩場もなければ、乾燥した砂地に木が生えているはずもない。そんな砂塵と強い直射日光から肌を守るために厚着もしているので、熱い上に暑い。
 湿気た暑さも無駄に体力を奪っていくものではあるが、乾いていたとしても強すぎる熱気は同じように体力を奪っていくものだった。
 それでも夜はまだマシなので、どうせなら日中より比較的涼しい夜間をメインに移動すればいいとは思うのだが、それを言ったセリアがカンダタに鼻で笑われてブチ切れていたので、ユウは口をつぐんだ。
 というのも、涼しくなる夜間に活動的になるのは魔物も同じだと言うので、それなら日中がどんなに過酷であろうと、まだ安全性の高いうちに移動してしまうのがいいのだという話らしい。
 実際、次の休憩ポイントまでの移動が夜間にずれこんだりしたときなどは、昼間より魔物に襲われる率が高かったので、これは嘘ではないのだろう。一座の人たちも同じことを言っていたので間違いはない。
 教えてくれた直後に疑ったら、なぜかカンダタは微妙な顔をしていたが、普段から息をするように嘘をついたりするので自業自得だろうとは思う。人を傷つけるような嘘ではないのが救いかもしれないが。
 ともあれ。暑さと熱さの入り混じった過酷な環境下を、荷物と女性陣はラクダという、砂漠のような乾燥した環境に適応した生き物に乗り、男性陣はそれについて歩くと言うような移動をここ数日繰り返していた。
 砂漠での移動に慣れていないユウたちは、序盤からだいぶ口数が少なくはあったのだが、それでも何日か移動していくうちに体力の温存の仕方や、砂地でも疲れない歩き方などを教えてもらいながら、どうにか雑談を挟める程度にまでなってきた。
 そうなってくると多少余裕もでてきてはいるということではあるのだが、今度は風とラクダの足音くらいしかない砂漠での移動が精神的に苦痛になってくる。時折、魔物の襲撃があるので気は抜けないが、同じ景色と同じ音だけの世界、そして容赦なく襲ってくる熱気というのは、地味に精神を削られていく。そんな中で。


「よっしゃ、そろそろ歌でも歌うか」


 何を思ったのかカンダタが唐突に提案してきた。カンダタのついているラクダに乗ったティアラが一瞬きょとんとしはしたが、特に何か突っ込むこともなくただ、歌えるの? というなんとなくズレた質問をしていた。


「そういえば、時々一座の誰かが歌ってるの聞くね。なんか意味があんの?」

「キャラバンソング、デスね」


 ティアラの前を歩くラクダについていたユウが…これにはリベルティーナが乗っているのだが、何故かユウについて欲しいと言う彼女の我が侭のせいでそういう配置になってしまった…首をかしげた。
 確かに時々、隊列のどこかから竪琴か何らかの弦楽器を奏でる音と歌が聞こえてくることはある。延々と音と呼べる音のない中に響いてくる音楽は、ささくれそうになる気持ちを多少でも和らげてくれる効果はあった。単に誰かが気まぐれに歌っているだけなのかと思ってはいたのだが。
 そんなユウの疑問に答えたのは意外にもサリだった。ティアラの後ろのラクダに乗っていた少女の答えに、カンダタがそれそれと振り返りながら指をさす。


「さっすが、商人の卵。ちゃんと知ってるねぇ」

「卵じゃナイです! ちゃんと、商人デスよ!?」

「キャラバンソング?」


 からかうようなカンダタの茶々にサリがにわかにいきり立ちそうになったので、ユウがそれを遮る様にサリに聞き返す。サリはじっとりと恨みがましくカンダタを睨んだ後、そうデスと首肯した。


「キャラバン隊だけではないと思いマスけど、風とラクダの足音だけでは寂しいでデショウ? 暑さもあるし気分も沈みがちになってしまいマスから、そういう寂しさとか気を紛らわせるために歌うんデス」

「砂漠を超えるための知識の一つってところかな?」

「そぉよぅ。葬列じゃあるまいしぃ、どうせならぁ楽しくいかないとね~」

「そうそう、そういうこと」


 説明してくれたサリにティアラが納得した様に頷く。と、間延びした甘ったるい声が会話に割って入って来た。ラクダの上の声の主をユウが見上げると、リベルティーナがね? と小首をかしげて笑った。
 リベルティーナに同調したカンダタは、いつの間に手にしていたのか手元の弦楽器を確かめるように鳴らすと、そのまま音を奏でながら歌いだした。
 その歌声は普段のおちゃらけた雰囲気からは想像できないくらいの美声な上に、弦楽器も慣れた様に美しい音色を奏でている。どこで習うんだと思いはしたが、彼は元々王族だ。歌も楽器もそれなりの教養を受けていてもおかしくはない。
 ユウは意味ありげに微笑むリベルティーナに合わせる様に、なんとなく曖昧に笑って、気づかれないようにそっとため息をついた。
 アッサラームを出てからリベルティーナはほぼユウにべったりだった。その割に未だに肝心なことは聞けていない。聞こうと思うと相手に上手くはぐらかせれてしまうのだ。レンはそれでも、リベルティーナの方がユウよりずっと上手だから仕方がないとなぐさめてはくれるが、カンダタには情けないと面白がるように笑われていて、それはそれで面白くない。
 もっと面白くないのはリベルティーナがユウにべったりなせいで、仲間と一緒にいられる機会が少なくなっていることだ。レンやセリアはともかく、ティアラには微妙に距離をあけられているのが何より気になる。その分なぜか、カンダタが妙にティアラと一緒にいるのも気に入らない。砂漠越えの隊列上、仕方がないと言えば仕方がないのかもしれないが、どことなく卑屈な気持ちにはなる。
 特に話がはずんでいるように見えたりする時なんかに余計にそう思ってしまうのは、気にしないようにはしていてもやっぱり心のどこかでは、自分とは格が違うと考えてしまっているからかもしれない。
 二人で一緒にいるところを見ていると、その立ち振る舞いなどはやはり平民との違いが垣間見え、それがまたなんだかお似合いに見える。身分を知っているユウだから思うことかとも初めは思ったが、一座の中でも最近そういう話を耳にするので…情報源は大概がリベルティーナだが、でも何も知らない他人から見てもそう見えるという事がまた、自分が卑屈になる気持ちに拍車をかけていた。


「ねぇ、ちょっと」

「分かってる。多分、気の所為じゃない」


 考え事をしていたユウの思考を遮る様に、後ろからカンダタの思ったよりも上手い歌声に交じってセリアとレンが交わした会話が耳に入って来た。はっとして顔を上げてようやく、服の下で自分の肌が総毛だっていることに気が付く。


「リベルティーナ!!」


 ユウが就いてるラクダの上で、カンダタの歌に合わせて呑気に鼻歌を歌っているリベルティーナを呼びつけるのと同時に、彼女の着ているローブの端を引っ張ってその背から引きずりおろす。
 彼女は間の抜けた悲鳴を上げて砂の上に盛大に尻餅をつき、ユウを批難するべく声を上げようと息を吸い込んだところで。さっきまで彼女の首があったであろう空間を、鋭い爪の様なものが通り過ぎて行った。それを見た彼女は吸い込んだ息をそのまま飲み込み、青くなって首を引っ込めて縮こまる。


「いつの間に集まってきたんだ!?」

「ていうか、何でこんなにいきなりいっぺんに集まってきたんだろう!?」


 同じようにラクダからおろしたサリを抱えたレンが、眩しそうに空を見上げている。空にはいつ集まってきたのか、魔物の群れらしき影が飛び交っていた。ぱっと見ただけでもかなりの数であることが伺える。
 ついでにどうやらサリはちゃんと抱っこされておろされたらしく、それを見つけたリベルティーナはなんだか不平を漏らしていたが、ユウはあえて聞かないフリをして剣を引き抜いた。


「あちゃー! やっぱ来ちゃったかぁ」


 音を奏でる手を留めたカンダタが、上空を飛び交っている魔物らしき影を見上げながら苦笑した。


「なに、どういうこと!?」

「いや俺さぁ、子供の頃から歌ったり口笛吹いたりすると、どーもおかしなモノを呼び寄せちゃうらしくて、周りからずーっと禁止されてたんだよねー。さすがに大人になったし、大丈夫かなと思ったんだけど、やっぱダメだったみたい」

「そんなお茶目にテヘってしながら暴露することじゃないよね!?」


 剣を構えて訝しそうな顔をしたセリアに、カンダタは肩をすくめて照れた様に笑いながら説明していたが、そんなに気楽に話してほしい内容ではない。むしろ歌う前に説明してほしかった。思いはしたが今さらなのであえて誰も責めることはしなかった。というより、彼を責めている余裕があるほど魔物の数は少なくはない。まずは集まってきてしまったものを何とかする方が先決だ。


「ティアラ、魔法……」

「やーん! こわーい!!」

「ちょっ……!!」


 カンダタの手を借りるまでもなく、ラクダからすでに飛び降りていたティアラをユウが振り返ってみれば、いつの間にか立ち上がったリベルティーナが、何故かティアラを盾にするように彼女の背中にしがみ付いていた。
 思わず唖然として慌ててそれを引きはがそうとして。それよりも早く急降下してきた魔物がユウと彼女たちの間に割って入って来る。しまったと思った時にはもう遅く、魔物は彼女たちに向かって奇怪な鳴き声を一つ上げた。耳障りなその音に思わず耳をふさぎたくなりはしたが、特に体に異常が出たわけでもなかったのでホッとしたのもつかの間、その向こうに見えたティアラは驚愕した様に目を見開き、喉を両手で押さえて何かをしきりに訴えようとしている。


「ティアラ!?」

「ユウ! そのキャットバット早く倒せ!!」

「え、あっ……!!」


 レンに言われて目の前の猫に蝙蝠の翼を生やした魔物がキャットバットだと理解はしたが、切り捨てるよりも早くキャットバットは再び上空に飛び上がってしまい、そのまま上空を飛んでいるキャットバットの群れに紛れて個体の判別はほぼ不可能になってしまった。
 レンが小さく舌打ちしてティアラに駆け寄り声をかけたが、彼女は眉間に皺を寄せたまま首をただ縦か横に振る仕草しか見せない。どうやら声が出ないようだ。


「ユウ! おまえが魔法でなんとかしろ!」

「なんで俺!?」

「マホトーンだ! 奴らはこっちの魔法を封じる呪文を持ってる! 術を使ったヤツを倒すか遠くに離れないと解けない!! おまえはかかってないんだろう!?」


 つまりはあの無数のキャットバットの中から、ティアラに魔法をかけた個体を見つけて倒さなければならないということだ。しかしただでさえ飛び交うキャットバットを落とすことさえ面倒なのに、個体を識別して撃破するなどほぼ不可能に近い。なら魔法で一掃してしまえばいいのだろうが。


「こんな状況で俺が魔法使えると思う!?」


 降下して襲い掛かってきたキャットバットを薙ぎ払い、さらに後から来たもう一体の爪をどうにかかわしてユウが叫ぶ。
 ティアラは無詠唱で魔法が使えるのだから、一瞬で魔法が発動できる。集中しなければいけない時間も極端に少ないので、サポートは最小限で構わないが、本職でないユウが魔法を使うのは簡単な事ではない。元々苦手な上に詠唱も必要だし、それなりの集中力が必要になる。セリアやカンダタも一座の人間を守ったり、襲ってくる魔物を処理するので手一杯で、ユウもこんな状況で集中出来ようはずもない。


「ようするにぃ、動いてる魔物を動かないようにできればいいんでしょぉ?」

「できればな!」


 こんな状況にも関わらず、相変わらず間延びしたような口調でリベルティーナが唇に人差し指を当てながら、きょとんと首をかしげる。
 お前の所為だろうが。と顔で語っているようなレンがじろりとリベルティーナを睨んだが、彼女はそんな気配もものともせずふーん、と鼻を鳴らして上空を見上げ。


「できるわよぉ?」


 彼女はにっこり笑って首をかしげ、カンダタが手放した弦楽器をおもむろに拾い上げると、近くにいた一座の人間に放り投げて、よろしく~と声をかけながらローブの留め具を外し、ぱっと翻して脱ぎ捨てた。まるでこれから舞台に立つかの様なその動きに、レンもユウも思わずぽかんとする。


「見せてあげるわぁ。一座きっての踊り子の実力ってゆーのをね」


 ぱちりと片目を瞑りながらリベルティーナは手拍子を始めた。本来なら舞台の上で足を踏み鳴らして観客を煽るためのものなのだが、砂地では足を踏み鳴らしたところで意味がない。そのかわりの手拍子なのだろうが、こんなところでいったい何のために。
 怪訝に思ううちに、リベルティーナの手拍子に合わせて弦楽器の音が響きだす。その手拍子と弦の音に、その場の人間だけではなく、魔物の意識も自然と彼女へと向かい。
 それを確認したリベルティーナはにんまり笑うと、ステップを踏み出した。リズミカルで楽し気な音に合わせた、リベルティーナの軽快なステップ。砂地で動きづらいはずなのに、まるで舞台の上と同じように彼女は軽やかにステップを踏んで踊っている。この場にそぐわないほどの、心の底から楽し気な笑みを浮かべて。
 軽やかな足取りと彼女の楽しそうなその表情に、なぜか釣られるように笑いそうになってユウは慌てて口元を引き締めた。が、それは他のメンバーも同じだったらしく、一座の人間においては彼女のステップを煽る様に手拍子を始めている。
 そんな場合じゃないだろ。思って魔物に意識を戻せば、何故か魔物達も彼女の踊りに釘付けになっており、さっきまで威嚇するように飛び回っていたはずなのに、今はすっかり浮かれて動きが緩慢になっていた。


「ユウ!!」


 あっけに取られていたユウをセリアが小突いた。そうだ呆けている場合ではない。魔物達の意識がリベルティーナの踊りに向いている今がチャンスだ。
 ユウは剣を傍らに突き立て、片方の拳を胸に当てて瞳を閉じる。簡単な魔法ならそこまで集中せずとも使えるようにはなったが、それなりに高度な魔法はまだ深く集中しないと発動できない。それでも比較的短時間で魔法が使えるようになったのは、それなりの成長だろう。そう思いながら。


「我に光を! その力を持って、闇を砕け!! ベギラマ!!」


 胸に当てた手に熱が集まるのを感じるのと同時に、呪文を唱えながらその拳を魔物の群れを薙ぐように振り抜いた。とたんにまばゆい光と熱がほとばしり、動きの止まっていたキャットバットの群れを薙ぎ払う。突然巻き起こった熱線に、難を逃れたキャットバットたちは正気を取り戻したが、焼き払われた仲間たちを見るや否や不快な音を立てて翼を羽ばたかせ、空の彼方へと消えて行った。
 全ての魔物が見えなくなったところでようやくホッと息をついたユウは、突き立てたままにしてあった剣を鞘へと戻し、自分の額に手を当て、ぐったりラクダに身体を持たれかけさせているティアラに駆け寄ろうとしたが。


「見てたぁ!? ユウ!! 私が踊るとぉ、魔物も踊りだすのよぉ~! 凄いでしょっ」


 彼女に辿りつく前に横から飛び出してきたリベルティーナにタックルされるように抱き着かれ、そのまま転ばされた。抱き着かれたまま転んだので、図らずも彼女を抱きとめるような格好で。


「……ってぇ……凄いのはわかったから、飛びつくの止めてくれる?」

「うふふ、褒められた~。役に立つでしょぉ、私~」


 いや褒めてないから。突っ込もうかと思ったところでふと視線を上げると、一瞬ティアラと目が合った。彼女は若干眉間に皺を寄せていたようだが、その皺の意味を汲み取る前に視線を反らされてしまい、そのまま背を向けられてしまったのでそれ以上彼女の表情を伺うことはできなかった。
 微妙な表情を見せられたことも気になるが、何より何も言わずに視線を逸らされたことの方がショックだった。いつもならもっと声を掛け合えるのに。


「いい加減、どいて」

「え~、なんでぇ」

「なんでって……」


 嫌だからに決まってるだろ。などとユウの性格上、そんなことをはっきり言えるはずもなく。苛立ちにの交じったため息をついて、ユウがリベルティーナの両肩を押し返す。彼女は不服そうにハスを尖らせながら、押し返された肩をさらに押し返しながら、ユウの体に巻きつくようにしがみついてくる。


「イチャこいてると次の野営地に間に合わないって話だよ」

「イチャこいてはないだろ」

「説得力はないわね」


 砂上にもつれているユウとリベルティーナを見下ろしながら、レンが呆れた様に嘆息したので、ムッとしてユウがレンを上目づかいに睨みつければ、ラクダから落ちた荷物を積みなおしながらセリアが冷ややかな視線を向けて来る。
 不可抗力の出来事に、そこまで冷たくあしらわれるいわれはない。言おうと思って、でも結局口にする事はせず、黙って無理やりリベルティーナを引きはがし、砂を払いながら立ち上がる。
 結局のところ自分がふがいないから、こういう羽目になるのだ。もっと周りをちゃんと見て、思慮深く動かなければならないはずなのに。
 頭では分かってはいても、それを実行に移すことはまだ難しく、つい視野を狭めてしまう。ちょっとしたことで揺れて、盲目的になってしまう。気持ちが揺らぐ。卑屈になる。でもどうしてそうなるのか、何が足らないのか、ユウには分からない。だから余計に苛立つ。


「……ガキだな」


 こんなんじゃ、みんなにからかわれてあしらわれても仕方ないかな。ぽつりと誰にでもなく呟いたユウの言葉に、リベルティーナはきょとんとして首をかしげたが、ユウは何でもないよと苦笑しながら、彼女がラクダの上へ戻るのを手伝った。



20170627 初稿

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蒼天の系譜 【第三幕】 ...04

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【第三幕】 砂塵に舞うは


04






 アッサラーム唯一の劇場はその日、満員御礼だった。酒場もかねての劇場ではあるので、普段はほとんど飲むついでに舞台を楽しむ客ばかりなのだが、今夜はいつもと様子が違うのだと言う。そう教えてくれたのは、旅の一座ヴァナディスの座長であるマダム・イデュンだ。
 ヴァナディスは今夜の公演を最後にこの街を去るとのことで、最後に舞台を一目見ようと劇場に足を運んできた客が多いらしい。そして皆お目当ては、一座きっての踊り子であるリベルティーナだとのことだ。
 スタイル的には背は低めでスレンダーとは言い難いが、幼さを感じさせる顔には不釣り合いな胸の大きさと、どこか妖艶な雰囲気を纏っている彼女は、確かに妙な色香を漂わせていた。良くも悪くも”女”を匂わせている。世間一般の男から見れば魅力的に見えるのかもしれないが、周りにそういうタイプの女性がいたことのないユウは、正直リベルティーナは苦手な部類だと言ってもいい。
 女を前面に押し出す形の彼女が苦手というのもそうだが、父がらみの話が出てきたので余計に心証は良くなかった。それがいい方向の話であるならまだいいが、明らかに余計なエピソードだろうと思えるような内容だったのでなおのことだ。
 彼女と最初に顔を突き合わせたのは、待ち合わせに指定していたこの劇場の前だった。リベルティーナはなぜか、ティアラの腕に絡みつくように自分の腕を回し、圧し掛かる様にべったりくっついて現れた。まるで寄生する樹木を締め付けて殺そうとする植物のようだと揶揄したのはレンだったか。
 うんざり顔のセリアと明らかに面白がっているカンダタ、そして困ったように笑うティアラを順繰りに眺め、最後にユウはリベルティーナの顔を改めて確認し。


「……オルテガさま……」

「え」

「オルテガさまーっ!!」


 目が合った瞬間にリベルティーナは大きな瞳をますます大きく見開いたかと思うと、ユウの父であるオルテガの名をぽつりと呟いた次の瞬間、一瞬きょとんとしたユウに向かって今度は大声を上げながら、しなだれかかっていたティアラの腕からするりと滑る様に離れ、ユウに向かって両手を広げて走り寄って来た。
 可愛くはあるが、どこかぼんやりとしたような表情でどんくさそうな印象の割には素早い動きと、そして勢いよく自分に突進してくる、おそらく自分に抱き着こうとしているのであろう彼女を、ユウは思わず身体を捻ってかわしてしまった。
 目標を失ったリベルティーナは、ユウの横を通り過ぎた挙句勢いに押されて何歩か前へ進んだ後、酷く不満げな表情を浮かべて振り返って来た。


「なんで避けるのぉ!?」

「いや、なんでって言われても」


 何となくとしか言いようがない。いや突き詰めれば父の名前が出てきたからでもあるし、単純に彼女に抱き着かれることに抵抗を感じたからではあるが。
 苦笑して肩をすくめたユウに、リベルティーナは不満げにハスを尖らせて何やらぶつぶつ独り言の様な文句を垂れていたが、やがて気を取り直したのか、にっこりと愛想の良い笑みを浮かべてユウに向かって首をかしげて来た。


「あなたオルテガさまにそっくりね。もしかして、息子さんなのかしら? ユウって言うんでしょう?」

「まぁ……一応」


 一応も何も正真正銘、オルテガの息子ではあるのだが、なんとなくリベルティーナに不穏なものを感じて思わず曖昧な答えを返してしまった。
 微妙な表情を浮かべるユウを、リベルティーナはふーん、と含んだ笑みを浮かべながらまじまじと眺めてくる。どこか挑発的な彼女の表情に、少しむっとしながら君は? と今度はユウがリベルティーナに問いかけた。


「どうして父のことを? それになんで俺の名前まで……」

「だって私、あなたのおねぇさんだもの」

「……は!?」


 ふふっ、といたずらっぽい笑みを浮かべながらリベルティーナが告げた言葉に、その場にいた全員が衝撃を受けて声を上げたのは言うまでもなく、どういうことかと問い詰めようとしたところでマダム・イデュンに声をかけられてしまい、結局彼女の爆弾発言の真偽を問うことができないまま、一行は劇場内へと連れ込まれてしまった。


「すっげー不満そうな顔」

「ホント、顔にでるわよねーあんたは」

「顔に出ない方がおかしい案件だろ、どう考えても」


 眉間に深い皺を寄せて椅子の背もたれに寄り掛かりながら、舞台を睨みつける様に眺めているユウの頬をセリアが突きながら苦笑する。その手を軽く払いのけながらユウが低く呻くように呟いた。不満というより不審という方が正しいだろう。
 リベルティーナは十九歳だと言うので、ユウより三つほど年上になる。ユウは両親が結婚してすぐに授かった子供ではあるが、それ以前から父は母を慕っていたと母から聞いている上に、父がどういう人間か自分で見てきたわけではないから確信はないが、それでも他人から聞いたオルテガの人間像からすれば、そんな不貞行為はまずないはずだ。


「まぁ、ありえないと思うけどなー」


 舞台を眺めたまま、カンダタが麦酒の入ったタンブラーを手元で弄びながら嘆息する。
 不貞腐れた顔のままユウが視線を向けると、それに気が付いたカンダタは苦笑いしながら肩をすくめた。


「俺の知る限りでは、オルテガのお前の母親への愛情は相当だったからな。あの二人が出会った時からそれだから、他の女に手を出すって事はまずないだろ」

「わっかんないぜ~。情にほだされてとか、酔った勢いとか、どっかで間違いがあったかもしんないし」

「レンは俺になんか恨みでもあんの?」


 ユウをなだめるようなカンダタの言葉を、レンが何食わぬ顔で否定するような言葉を口にしたので、ユウがますます顔を歪めた。可能性の話だとレンはフォローを入れたが、シャレにならないので余計なフォローだ。だがそれもないない、とカンダタがおかしそうに笑って手を振った。


「おまえの両親が出会ったのは、おまえより若い時だぞ? しかもオルテガが十五、六でカーチャンの方なんか十二、三歳だからな?」

「えっと……それはそれで、ちょっと微妙なような……」


 からからと笑いながら父の不貞行為を否定してはいるが、何気なくそれはそれで衝撃的な内容だ。一般的に男女とも十六歳が成人とされているはずなのだが、今の発言からするとオルテガが母を見初めたのは、まだ成人もしない少女の頃ということになるではないか。それはそれで問題だろう。
 それはありなのか? むしろ父親の不貞行為の方が、まだ納得できそうな問題の様な気がしてくる。どこから突っ込んだものかという様にティアラが微妙な表情をする隣で、ユウは別の問題で頭を抱え始めた。


「いやまぁ……かいつまんで話をするとそうなるだけで、別におまえのトーチャンが幼女が好きだとかそういう話じゃないんだけどな」

「ややこしくなるからもういい……とりあえず、あり得ないって事がわかればいいよ……」

「ていうか、両親の馴れ初めとか聞いたことないの?」


 フォローしているのかとどめを刺そうとしてくれているのかよく分からないカンダタの言葉に、頭を抱えてテーブルに突っ伏していたユウがぐったりと顔を上げ、諦めた様に嘆息する。
 そのやり取りを見ていたセリアは呆れた様に肩をすくめたが、ユウは黙ったまま頭を振った。恋だの愛だのをくだらないと思うつもりはないし興味がないわけでもない。狭いコミュニティではあったけれど、自分にそういう浮ついた話がなかったのかと言われればそうでもなかったし、友人たちとそういう話で盛り上がることだってあった。
 そういう中で、自分の両親についても気にならなかったわけではない。どうして母はこんな、自分たちを放りっぱなしになんかする父を選んだのかと、疑問というよりは憤りを覚えていたことは確かだ。
 だからかな。ユウはテーブルに突っ伏したまま、視線だけ舞台で踊るリベルティーナに視線を向ける。
 自分たちを放っておいて、父親面されるのはムカつく。戦士としては立派だが、父親としては認められない。そんな父親に興味を持っていると、母に思われたくなかった。知りたいことはあったけれど、聞きたくはなかったのだ。ちっぽけな子供のくだらないプライドから。
 そんな父を、彼女はあたかも息子であるユウよりも知っているようなそぶりを見せた。知ろうともしなかったくせに、それを腹立たしく思うのはおこがましいことだとは思うが、でも到底納得できるようなことでもない。何より母を想って。


「聞きたくなかったし」

「ガキね」

「ガキだよ」


 ポツリと呻くように呟いたユウに、セリアが笑った。馬鹿にするような笑みではなくどこか優しく、そっと微笑む様に唇を歪ませながら、テーブルに顎を乗せたままのユウの頭を彼女は小さく叩いた。まるで小さな子供をあやすようなそぶりではあったが、でもユウの事を分かってくれているからこその仕草だと言うことは分かっていた。
 子供なのだ。自分でもそれは分かっている。ちっぽけでくだらない意地だと言うことも。でもやっぱり、少しづつではあるが父の見方が変わっていたとしても、そんな簡単なことではない。頭では分かっていても、心までは簡単に割り切れないから。


「自分でちゃんと分かってるなら、大丈夫よ」


 言われてきょとんと視線を上げると、ティアラが首をかしげる様にユウを見て。


「分かってないで我が侭言ってるのは、ただの子供よ。分かってることを分かろうとしないのも子供だけど、でもユウはそれじゃダメだって事も分かってるんでしょ? なら、ちゃんと一つずつ納得していくことができれば、そのうち超えていけるから大丈夫」


 ティアラはテーブルに顎を乗せたままきょとんと瞬きを繰り返すユウと視線を合わせ、ね? と笑った。しばらくそのまま微笑む少女を眺め、ユウも微かに笑って頷くそぶりを見せた。
 認めることは容易ではないけれど、今は以前ほど頑なに認めたくないと思うわけでもない。少なくとも父を知ろうと、きちんと知りたいと思えるようにはなったのだ。知らない方がよかったと思うような事も出てくるかもしれないが、この旅を続ける上でもやはりちゃんと父のことは知っておくべきだと。
 彼女、リベルティーナもその一環だろう。母は何か知っているのか、それとも何も知らないのか。まずはきちんと事実関係を把握しなければ何も始まらない。今はまず、そこからだ。


「遅くなって悪かったね」


 二人で微笑み合って分かり切ったような空気をかもしだしている少年少女を、生ぬるく見守っていた大人組の後ろから、やや小太りで派手な化粧を施した女性が声をかけて来た。ヴァナディスの座長であるマダム・イデュンだ。
 マダムは適当に空いている椅子を引っ張ってきてテーブルに着き、一通り席についているパーティメンバーを見回すと、ありがとうねとにっこり笑った。


「うちの売れっ子を助けてくれて。あの子がいないと、うちもやってけなくなるからね」

「偶然通りかかっただけですから。それよりマダムたちは、これからどちらへ? 今夜がアッサラームも最後だとおっしゃってましたが」


 確かに偶然ではあったが、うちのお姫様も危険だったんですけど。セリアとレン、ユウのじっとりした視線をしれっとした顔でかわしながら…ちなみにサラは間違えて麦酒のタンブラーに手を出し、それを煽ったかと思うとそのままダウンした…カンダタがマダムの顔を伺う。
 しかしマダムはとたんに笑みを引っ込め表情を曇らせたかと思うと、短く嘆息して砂漠だよ、と呻いた。


「イシスに呼ばれててね。なんでもバラモスなんて化け物が出てきて以降、中止していた豊穣祭を今年はやるって事で、その前座に呼ばれてるのさ。イシュタル様から直々にお願いされたもんだから、断れなくてね」

「イシュタル様?」

「イシスを治めてる女王だ」


 苦いものでも噛む様な表情を浮かべるマダムに視線を置きつつ、ユウがレンに耳打ちする。レンも腕組みしたままユウに肩を寄せ、小さく囁いた。
 女王、ということは女性が国を治めているということか。大概の国は王位を継ぐのは男子が主だ。娘しか生まれなかった王家は、婿を迎えて婿が国を治めることが多い。だから現ロマリア王のように、他国の王家間、もしくはその親族や有力者と婚姻を結ぶのが通例で、女性が国を治めると言うことは滅多にない。
 訝しそうな顔をするユウに、レンが声をひそめながら続けた。


「イシュタル陛下は未婚なんだ。婿を取らない。だから世襲にはしない。女王候補を自分の傍に仕えさせて、次期女王を育てていると聞いてる」

「ありなんだ、それ」

「今の世界でそれがありかなしかと言ったら、なしと言われるだろうな。イシスは代々、王位継承で揉めに揉める国だったから、そういうのを変えたかったのかもしれない。先進的と言えば聞こえはいいが、理解はされないだろう」


 レンの説明にふぅん、と小さく鼻を鳴らしはしたが、正直ユウには難しい話というか遠い世界の話だ。王位なんて話も、そういうことに絡んだ歴史も自分には関係ない。
 ただでも。思いながらマダムから視線を僅かに外して、ティアラを盗み見る。彼女はネクロゴンド王の忘れ形見だ。他に子供がいるとは聞いていないので、国を再興するのであれば当然彼女が中心になるはずで、必然的に他国の王家か有力者から婿を取るのだろうと考えていた。
 でもイシスの様な国もあることを考えれば、選択肢はそれだけに限られないと言うことだ。確かにイシュタルの考える王位継承方法は無茶だと言えなくもない。でも例えば跡継ぎが救えないほどの馬鹿で、そんなのが国を治めるくらいなら、血は繋がらなくても有能な人間が国を治めた方が、国としてはよほど安泰だろう。国民もおかしな政治で苦しい生活を強いられるより、豊かで安定した生活が送れるのだとしたら、その方がよっぽどマシなはずだ。


「認められるための努力は、容易じゃないけどな」


 ユウの考えを知ってか知らずか、レンは独り言のようにポツリとそれだけ呟くと、ユウに向かって寄せていた肩を戻してマダムに向き直った。
 見透かされたような気はしたが、確かにレンの言う通りではある。認められることの難しさは、ユウも身をもって知っているからこそ。しかも国に関わるような大きな話ともなれば、きっと誰しも慎重になるだろうし、特に保守的な人間からすれば余計な事だと言われるだろう。そうした人たちからの理解も得られているからこその、イシュタル女王の政治だ。そこへ漕ぎつけるために残した彼女の功績は、どれほどのものだったのか。


「何か問題が?」


 僅かに眉間に皺を寄せたユウには気が付かないまま、表情を曇らせるマダムにレンが首をかしげると、マダムは肩を落として首肯した。


「ただでさえ砂漠越えは過酷だ。それに加えて凶悪な魔物が跋扈するこのご時世だからね……砂漠越えの為の傭兵が雇えなかったんだ。昔はただ砂漠を越えるだけだったからあたしらだけでも十分いけたけど、今はあたしらだけじゃとても砂漠は越えられない」


 椅子の背もたれにぐったりするようにもたれかかり、額に手を当ててお手上げなんだよ、と呻くマダム。
 その様子を見たレンが一瞬、カンダタに視線を向ける。カンダタがにんまりと笑って頷いたのを見て、ユウは嫌な予感がした。
 自分たちの目的地はイシス地方の古い遺跡だ。ただその遺跡は王家の持ち物だとカンダタは言っていたので、勝手に入ってバレでもしたら厳罰になる。だからまずはイシスで、遺跡へ入る許可を取らなければならなかった。けれどレンがいくら旅慣れていようと、自分たちだけでの砂漠越えには限界がある。主に水と食料の話なのだが。だから、砂漠越えに慣れたキャラバンを探していたのだ。


「マダム。もしよければ、自分たちを雇いませんか」

「なんだって?」

「自分たちもイシスへ行きたいのですが、砂漠越えの知識がありません。もし連れて行っていただけるなら、傭兵の代わりを務めることができます。いかがでしょう?」


 レンの提案にセリアがぎょっとしたように目を見張る。ティアラは聡明な分、カンダタがマダムに行き先を聞いていた時点で何かを察していたようで、言うと思った、と今にも言い出してしまいそうなくらい、すでに諦めた様な顔をしていた。
 正直ユウも、リベルティーナと行動を共にしたくはない。聞きたい事だけ聞いてそれで終わりにしたいくらいではあるのだが、砂漠を越える手段が今の自分たちにはないし、案もないユウに反対を唱える権限はなかった。


「……あんた、オルテガさまの息子なんだってね」

「え、あ……はい」


 いきなり話を振られて思わず間の抜けた返事をしてしまいはしたが、じっと自分を見つめるマダムを不思議そうに見つめ返していると、マダムはふっと表情を崩して、分かったと大きくうなずいた。


「あの人の息子だっていうなら、信用するよ。リベルティーナも喜ぶだろう」

「あ、あの……彼女のご両親は……」


 父の名前が出てきたところで、肝心の話の核心を思い出し、ユウが納得するように頷いているマダムにおずおずと声をかける。
 マダムは一瞬訝しそうに眉をひそめたが、答えないつもりはないらしく首を左右に振って見せた。


「あたしはあの子の母親しか知らないけど、今はもういない。死んだよ。ただ、オルテガさまとは以前から親しかったようだ。リベルティーナと母親をうちの一座に預けたのも、あの人だったからね。でも詳しいことはオルテガさまもあの子の母親も言わなかったし、言わないことを聞く主義でもないから、悪いけどあたしにはそれ以上のことは分からないよ」


 知りたかったらリベルティーナに聞きな、とマダムが締めくくったところで、周りからわっと拍手と歓声が上がった。
 驚いて顔を上げれば、どうやらリベルティーナの舞台が終わったところだったようで、大きく手を振りながら客席に向かってお辞儀をする彼女が見えた。
 知りたいような知りたくないような。もしかしたら、知らなくてもいいことかもしれない。けれど母の為にも父を信じたかったし、自分自身も不思議なもので、父がいい加減なことをするような人間だとは思いたくなかった。これ以上、父を嫌いになりたくないと思えているからかもしれない。そして胸を張って、自分はオルテガの息子なのだと誇れるように、いつかはなりたいとも思えるようにもなってきたのだから、やはりきちんと聞いておくべきことなのだろう。憂うつなことではあるけれど、それも一つのけじめだ。
 ユウは先のことを考えて盛大にため息をついたが、それは歓声と拍手にかき消されて、仲間の誰もが気が付くことはなかった。



20170501 初稿

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蒼天の系譜 【第三幕】 ...03

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【第三幕】 砂塵に舞うは


03







「私、セリアとレンて恋人同士なのかと思ってたんだけど」


 露店を覗いていたティアラが唐突にぽつりと呟いたので、一瞬何の話か理解できなかったセリアが僅かに眉間に皺をよせ、でもすぐ自分の話だと理解してますます表情を険しくした。
 明らかに不機嫌になったセリアを見てティアラは可笑しそう笑ったが、何も可笑しいことはないとでもいうようにセリアは不快感をあらわにしている。


「違うんだね」

「どうしてそう思うの?」


 全く自分の感情を取り繕おうとしないセリアをものともせず、ティアラは笑ったまま小さく首をひねった。


「んー、なんだろう。仲はいいけど、お互い干渉しないっていうか……仕事とプライベートを分てるって言っても、そういうのとはちょっと違うっていうか?」


 上手く説明できないなぁ、とティアラは唇を尖らせて腕組みをし、自問自答するかのように小さく呻った。普段は大人びた表情ばかり見せているこの少女も、こうして可愛らしい仕草を見せている時はやはり年相応に見えると思いはしたが、彼女の見解は全てが外れているとも言い難く、こんなやっとこ成人した程度の、まだまだあどけない表情を見せている小娘だとしても女の勘というものは侮れない。
 そこを考えるとセリアを威嚇、もといけん制してくるサリも侮れないと言えば侮れないだろう。見た目や仕草は子供っぽいようで、女はいくつだろうと女なのだと実感する。


「ま、ね。当たってはいるけど」

「え、なに、お前らラブラブって関係じゃないんだ?」


 どちらにしても別に隠すような事でもないので、セリアはあきらめた様に嘆息して苦笑した。
 それをすかさず横からカンダタが突っ込んできたので、それはさすがにウザく感じて片眉を吊り上げて横目で睨みつけてやった。


「なに、文句ある?」

「いや? 男女の関係なんてそんなもんだろ。まぁでも……」


 睨まれたことを気にするでもなく、カンダタは飄々とした表情のまま首を振ったが、その後すぐになぜか面白がるように唇で弧を描き、目を細めてセリアを眺めて来た。どことなく気味の悪いその表情に、さすがにセリアも引き気味になって、なによと呻く。


「恋人同士ってわけじゃないなら、傷のなめ合いかな」

「男女の関係なんて、そんなもんなんでしょ?」

「そういう切り返しは、ずっるいなぁ」


 にんまりと笑うカンダタから視線をそらしながら、セリアが突き放すように切り返す。自分で言ったはずのセリフをそのまま返されたカンダタは、肩をすくめながら苦笑した。
 そんな二人を眺めていたティアラがきょとんとして首を傾げる。いくら大人びていようと聡明であろうと、そして年齢にそぐわない人生を送っていようと、理解できないものはあるだろう。
 特にこういう色恋沙汰なんて年代によって事情も様々だろうし、ましてやこの少女が同年代の友人とそういう話で盛り上がるなんてこともなかったはずなので、よけいに。実際、理解に苦しむと言うよりは本当に理解できていない様子がうかがえる。
 セリアはカンダタと顔を見合わせ困ったように笑いながら、なんでもないわ、と小さく首を振った。


「恋だの愛だのっていうのは、人によって色々あるって話」

「それくらいは私だって分かるよ。そうじゃなくて、もっと自分の感情に素直でもいいんじゃないかなって思うだけ」


 幼い子供をたしなめるような言い方が気に入らなかったのか、ティアラはハスを尖らせながらぷいと顔を反らせて拗ねた様な仕草を見せた。
 少女の言い様にセリアは絶句し、カンダタは違いないと失笑した。笑い出したカンダタを鋭く睨めば、彼はさっと顔を反らして笑うのだけはやめたが、時々肩を震わせて笑いをこらえているのはありありと見て取れた。
 睨んで黙らせたカンダタから視線を外しながらセリアは小さく嘆息して肩を落とし、どうしたものかと思案する。


「ティアラは自分の感情に素直かしら?」

「私は……それこそ、事情があるもの」

「王族っていう問題?」


 むくれて視線をそらせていたティアラの顔を覗き込む様に話しかけてきたセリアを、少女は一瞬あっけに取られたように見つめ、すぐに表情を曇らせてセリアの視線から逃れる様に、今度は身体ごと顔を反らせる。
 それがまさに、色々だろう。ティアラにはティアラなりの事情があるように、セリアやレンにだって事情がある。確かにセリアが抱える問題はティアラが抱える問題よりは小さいかもしれない。しかし当人たちにとっては大きさの問題ではないのだ。
 少女の問題は自分の出自であるだろうことは容易に想像がつく。国を追われたとしても彼女は正当な王位継承者だ。国を取り戻せたのなら、必然的に王位に就くであろうことは想像に難くない。
 そして彼女がユウに好意を寄せていることは明らかで、口にはしなくてもお互いにまんざらではないことは、誰も何も言いはしなが分かり切ったことだ。
 ただでも、それが問題だと言えるだろう。祖父の代で騎士団長を務めていたとはいえ、すでに除隊して爵位も返上している。ユウはたとえ英雄の息子だとしても平民だ。これでユウ自身がバラモスの討伐に成功したとして、それで彼をティアラのパートナーとして受け入れられるかと言えば、そういう簡単な話でもない。


「英雄は為政者にはなれない」


 呟くように漏らされたカンダタの言葉に、ティアラがはっとしたように彼を見た。少女の表情にカンダタがにやりと笑う。


「オルテガは確かに英雄だ。戦士として、傭兵として偉大な功績を残してきた。それだけに、国内だけでなく他国からの権力者から引く手あまただった。娘の婿にと。前ロマリア国王も熱望した位にな」

「でも平民でしょう?」

「二十年近く前の話だ。ユウの祖父はまだ現役で、騎士としての爵位を返上していなかったからな。一応爵位のある家柄って名目があった。でもオルテガは一切、その話に乗らなかった」


 なぜかわかるか? と口にはしなかったが、そう問うようにその視線でティアラをとらえる。少女は少し考えて小さく首をひねった。


「おばさまがいたから?」

「それもある。でもそれだけじゃない、てことは分かってて聞いてるな?」


 意地の悪い笑みを浮かべるカンダタを、ティアラは若干非難するように睨みはしたが、でも何も言わなかった。ただその沈黙が肯定であることはセリアにも分かった。でも何を少女が分かっているのかが、セリアには分からない。


「どういうこと? 一応、家柄はあるし、年齢にそぐわない功績を残してる。ユウの母親を想っていることは分かるとして、でもそれだけで断る理由になる? しかも相手は権力者でしょう」


 セリアはオルテガがどんな人物だったのか、よくは知らない。セリアがアリアハンに来たとき、オルテガは既に帰らぬ人という扱いだったので面識がない。歴史に残るような戦士だったという話を、人づてに聞く程度だ。ユウが性格も見た目も父親そっくりだと周りが言うのをよく聞くのでそれから想像するしかないが、それでも心に決めた人がいるなんて理由が、上からの圧力を突っぱねるだけの効力になるだろうか。
 納得いかないと言うように顔をしかめるセリアに、カンダタは笑うのを止めてティアラを一瞥してからセリアに視線を滑らせた。


「だから、オルテガの言葉だよ。さっきのは。英雄は為政者にはなれない。戦はできても政治はできないってことだ。オルテガは自分のことをよく分かってた。自分の役割を、存在意義を。そんでもってそういうこと考えるのはユウも、多分同じだよ」


 そっくりだからな、あの親子は。カンダタはそうしめて寂しそうに笑った。


「今はあんまり分かってないかもしれないけどな」

「でもそれは、素直になれない理由にはならないわ」


 カンダタの言葉の語尾にかかる様にセリアは口を開いた。思ったより剣の含んだ口調になってしまったのは、苛立っていた所為だろう。びっくりしたように大きな瞳をこぼれんばかりに見開いているティアラに、セリアは呆れた様に嘆息した。


「別れが決まっているのなら、今ちゃんと素直になっておきなさい。うじうじして悔いが残るくらいなら、いっそスパッと割り切って、今は好きにすればいいの! その方が後腐れがなくてよっぽどいいわ! そうやってうじうじしてるのは、見ててほんっとイライラする! せっかく傍にいるのよ!? 限られてる時間なら、余計もっと大事にしなさい!!」


 言いながら人差し指をティアラの鼻先につきつける。あっけに取られている少女を尻目に、隣でカンダタが盛大に噴き出した。


「もっと優しく諭すのかと思ったら、それかよ! いや、説得力あるわその豪快さ」

「褒めてんの貶してんの!?」

「褒めてる褒めてる。ユウがあんたとかレンを信頼してる理由、分かる気がするわ」


 けらけらと腹を抱えて笑うカンダタに拳を振り上げるセリアを、両手でなだめるようなジェスチャーを見せたカンダタが一呼吸置いて笑いながら肩をすくめた。
 それを見ていたティアラも口元に手を当てて小さく笑いだしたので、セリアがじろりと睨む。セリアの鋭い視線を受けた少女は、ごめん、と申し訳なさそうに肩をすくめ、すぐにありがとうと小さく笑って小首を傾げた。


「なんか色々考えちゃってたけど、そうだね。つまんない後悔はしないようにする」

「そうしておきなさい」


 私みたいにね。と口にはしなかったが、心中で独り言ちた。結局、素直になるタイミングを掴めず、いつまでもズルズルとつまらない関係を続けてきてしまった自分に、少女を諭すような資格はないかもしれない。でも素直になれなかったせいでそうなってしまったというのもまた事実だ。まだ少年少女という枠から出きっていない彼女たちに、同じような思いをしてほしくないとも思う。
 傷のなめ合いと言われてしまうと、そうなのかもしれない。お互い故郷を捨てた様に出て来た身だったので、なんとなく親近感が湧いた。
 お互い詳しい事情を話し合ったことはない。話し合ったことはないが、レンは知っていたかもしれない。彼が国王直属の間諜だったことは、セリアも最近まで知らなかった。でもそれは別にどうでもよかった。身内だろうと、言えるはずのないことだ。
 怖かったのは、セリアの素性を知られているから曖昧なままなのではないかと思わされたことだ。いつから知っていたのか、それとも初めから知っていてセリアと関係を持ったのか。自分もやっぱり、仕事柄関係を持たざるを得なかった人間の一人だったのか。
 考えて、セリアはそれを振り払うように頭を振った。それでも信頼していることに違いはないし、何にしても自分の事をよくわかってくれている人間の一人であることに変わりはない。少なくとも、この旅の間はこのままでいいと思う。どこかでけじめをつけなければいけないのであれば、旅の後だろう。きっとそれぞれが、それぞれの道を選ばなければいけない時が来る。その時決めればいいことだ。


「なぁ」

「は?」


 自分の考えに没頭していたセリアの肩を、カンダタが若干強めにつついてきた。肩当のない部分をつつかれたので思わず口調ごと苛立ちをぶつけたが、カンダタは気にすることもなくセリアをつついた指をそのまま明後日の方向に滑らせ。


「あれ、いいのか? ほっといて」


 どこか面白がるような笑みを浮かべて、指さした方向を顎でしゃくって見せた。
 何の話だと言うより早くセリアはその指先に視線を送り、思わずぎょっと目を見張る。そこには数人の男に囲まれたティアラが、彼女同年代くらいの少女をかばう様にして立ちはだかっているではないか。何事だと問いたくはあったが、それよりも。


「ほっといていいわけないでしょ!? つーかあんた、分かっててほっておくの止めてくれない!?」

「いやだって、止める前に走り出しちゃったんだよ。セリアが止めてくれるのかと思ったら、おまえなんか考え事しちゃってるし」

「人の所為にしないで!!」


 言い訳はしているが、カンダタの顔は完全に面白がっているようにしか見えない。町娘ならいざしらず、あの少女なら放っておいてもチンピラ程度は軽くあしらえるだろうが、だからって放っておいてもいい理由にはならない。もし万が一、何か間違いでもあったら責任もって預かると言ってきたアリアハン王に面目が立たない。
 分かってて放置するカンダタを鋭く睨み、肩をすくめてこわっ、とおどける彼をスルーし、少女たちの方へと駆け出したころには、あたりの通行人が足を止めて遠巻きに眺め出していたので、すでにちょっとした騒ぎに発展していた。しかし誰も彼女たちを助けようとはしない。当然と言えば当然か。囲まれているのは華奢な少女二人で、囲んでいるのは複数のしかも男だ。思うほど厳つくはないが、一般人が相手をして簡単に勝てるとも思えない。
 人だかりになってしまっているせいで思う様に少女たちに近づけないが、どうも言い争いを聞きかじった感じでは、男たちが無理やり少女を連れて行こうとしていたところを、ティアラが助けたと言ったところの様だ。それはあんたの役目じゃないでしょうがと思いはしたが、困っている人を助けたいと思う気持ちは彼女らしい。
 思わず笑いそうになって、笑っている場合ではないと慌ててそれを振り払い、どうにか人ごみを割って進んでようやく輪の中心部へ出た時にはすでに、おそらくティアラを殴ろうとしたか捕まえようとしたかしたのであろう男が一人、彼女に足を引っかけられて転ばされているところだった。その瞬間、人だかりから一斉に笑い声が上がる。
 年端もいかない少女にコケにされ、挙句ギャラリーから笑いものにされた連中がこのまま引き下がるはずもなく、ますますいきり立つ男たちに向かって、ティアラはすでに半身を引いて構える姿勢を取っている。まぁここで年端もいかない少女にコテンパンやられれば、暫くはこの連中も大人しくなるのだろうが。


「私の妹に何か用?」


 今にも始まりそうな取っ組み合いに割って入る様に、セリアが声を上げる。騒ぎの当事者だけでなく、ギャラリーの意識さえも一斉に向いてくるのは、さすがにあまりいい気分ではない。それも相まって声には一層、ドスが利いていた。
 高身長な上に鎧をまとい筋肉質、腰には剣をぶら下げているとなれば、例えセリアが女であろうと戦士だということは一目でわかる。ひょろひょろと背ばかり高いだけの街のチンピラ風情が、何人か集まったところで勝てるはずもない。よしんば勝負を挑んだところで、自分たちが痛い目を見るのは目に見えたのだろう。男たちはティアラたちに取っていた横柄な態度とは打って変わって、三文芝居の様な捨て台詞を吐きつつも、互いに足をもつれさせながら転がる様に輪の中から逃げ出していった。
 少女とチンピラのケンカが見られると好奇の目を向けていたギャラリーも、チンピラたちが逃げ出していくのと同時に引いていく。中にはよくやったなどと声をかけて行く酔っ払いなどもいたが、それを適当にあしらい、ようやく完全に人が掃けたところでセリアは安堵した様に息をついて肩を落とした。


「もう……無茶しないで。何かあったらユウになんて言えばいいの」

「ごめん、セリア。でもこの子が無理やり引っ張られていくのに、誰も助けないからなんか腹が立って、つい」

「ついって……」

「止めて! 彼女を責めないで!!」


 呆れた様に嘆息するセリアに、ティアラが申し訳なさそうに肩をすくめる。それをさらに諫めようとしたところで、ティアラの後ろに隠れる様にして縮こまっていた少女が今度はティアラをかばう様に前に躍り出て来た。その動きに驚きつつ、言い回しと動きが芝居がかっていてなんとなく微妙な気分にさせられた。
 よくよく見れば、少女は思ったほど幼くないようだ。身体つきがティアラに似ていたので同年代位かと思いはしたが、顔の造りが彼女やユウよりも大人びている。化粧や衣装の所為もあるのかもしれない。少女と呼ぶには少し濃い目の化粧を施し、身に着けているものは娼婦ほどではないがそれなりに露出が高い。華奢な割にはほどよく引き締まった、メリハリのある身体つき。そして妙な言い回しと独特な、芝居がかった動き。おそらく劇場か何かの役者か、あるいは踊り子なのだろう。


「分かったわ。とにかく二人とも無事で何より」

「で、きみは誰かな」


 こぼれんばかりの大きな瞳をキラキラと湿らせて見上げられ、セリアはうんざりしたようにもう一人の少女から視線を外して、やや投げやりに手を振った。
 その後ろから今さらカンダタが顔を出してきたので、なんだかムカついて軽く脇腹を小突いてやった。しかしセリアの小突くは一般の小突くよりも強かったようで、思ったよりカンダタが痛そうに顔を歪めたのを見て軽く留飲を下げ、きょとんとしたような表情になった踊り子だか役者だかの少女を見る。
 少女は私? とやっぱり大げさな動作で自分を指さし、すぐににっこり笑って薄手のパンツの裾を軽くつまみ、恭しく頭を下げて挨拶をした。


「私は、リベルティーナ。旅の一座、ヴァナディスの踊り子よ。よろしくねっ」


 言いながら頭を上げ、わざとらしく片目を瞑ってまるでハートマークを飛ばすかのような挨拶に、セリアはなぜか無性に苛立ちを覚えて、隣でニヤニヤと意味深な笑みを浮かべているカンダタのつま先を、八つ当たりに力いっぱい踏みつけてやった。



20170311 初稿

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蒼天の系譜 【第三幕】 ...02

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【第三幕】 砂塵に舞うは


02






 商業都市アッサラームは中央大陸と、ネクロゴンドおよびイシスの二国が統治する北大陸、そして東のバハラタ地方を結ぶ中継ポイントに位置していた。多方面から人や物が集まるせいで多種多様な文化が入り混じり、そうしたものを求めて集まって来た行商人たちの手によって大きく発展した、商業に特化した都市だ。
 そして街の多くの商店は、多様な文化ゆえか様々な商業形態が見られる。昼間に開いている店舗もあれば、夜しか営業しないような店舗もあり、商業都市アッサラームは眠らない街としても有名だった。


「でもどっちかっていうと、夜のが賑わってるなぁ」

「それがこの街の特徴って奴だな。他の都市じゃちょっと許されないような風俗店とかも、この街じゃ当たり前だし」

「……あぁ、だから……」


 レンに連れられて街を見回しながら歩いていたユウが、苦笑を浮かべて納得した様に頷いた。
 今歩いている繁華街は市場などの日用品や雑貨などの生活用品を扱うような市場とは違い、店舗の前ではやたらと露出の高い女性や、ちょっと怪しげな雰囲気を醸し出す風体の男性などが、行き交う人々にとっかえひっかえ声をかけては店へと連れ込んでいく様子が見られている、いわゆる風俗街のようだった。出ている看板を見れば大概が酒場であろうことは理解できたが、看板のないような店もちらほらと見受けられる。そういう店へ入っていくのは、ほぼ半裸と言っても過言ではないような女性を伴った男性ばかりだ。これがようは”他の都市では許されない”という風俗店なのだろう。


「い……いかがわしいでス! レン様!! こんなところ、さっさと出まショウっ!」

「勝手についてきといて何言ってんだ。だからティアラたちと行けつったろ」

「む~……ティアラは好きデス。後の二人は苦手デス」


 レンにしがみ付いてなるべく周りを見ないように顔をレンの背中にくっつけて歩いていたサリが、横目で半裸の女性をのぞき見しながら喚いた。そんな彼女の頭を軽く叩きながらレンが呆れた表情を浮かべる。その様子を見ながらユウが困ったように笑って肩をすくめた。
 街に到着したのは丁度昼頃で、とりあえず宿に入って街を見て回る算段をつけようと思っていたユウに、レンやカンダタから夜を待った方がいいと提案された。この街の性質上、買い物は夜の方が向いているのだと言うことらしいが、街を歩いてなるほど確かにと納得できた。
 やがて日が暮れ始めると昼間の閑散とした街並みは一変し、まるで町中の人間が一斉に出て来たかのような賑わいを見せている。文化の様式に統一感こそないものの、賑わいとしては王都ロマリアに引けは取らないだろう。
 そんな賑わいを見せる街で、一行は二手に分かれて行動することになった。片方はポルトガ王へ献上するための黒コショウを探すためで、もう一方はこれからイシスへ向かうための砂漠越えの準備をするためだったのだが、この別行動にまた問題が生じた。
 言わずもがな問題を起こしたのはサリで、レンにくっついて行くと言って聞かなかったのだ。レンはあまりサリを連れて行きたくなかったらしく…その理由はここに来てやっとユウにもわかったのだが…ティアラにも宥めてもらいながら説得を試みたものの頑として聞く様子を見せなかったので、仕方なくこうして連れて来たのだ。
 もっと言えば、セリアやカンダタと行動すること自体が嫌だったという理由もおそらくある。アッサラームへの道々で、薄々セリアを敵視している気はしていたが、それはやはり気のせいではなかったようだ。レンに激しく一方的に想いを寄せるサリが、常にと言っていいほどレンの傍にいるセリアを気に入らないのは分からなくもない。カンダタが気に入らないのはまぁ、自己紹介の時に彼は失礼なことをやらかしているのだから、それはカンダタの自業自得なのでどうでもよかった。ただセリアを敵視するのはさすがにどうかとは思う。


「カンダタはともかくセリアを苦手ってのは、一方的だろ」

「だってなんでレン様といっつも一緒なんですか!?」

「いやまぁ、仲間だし。あと、そういう仲だし?」


 相変わらずレンにしがみ付いてあたりを見ないようにしつつ、それでも不貞腐れた様に頬を膨らませるサリに、ユウがなだめる様に声をかける。サリは横目でにらむ様にユウを見上げ食ってかかって来た。
 何でと言われても一緒に旅をしているのだから常に一緒にいるのは当たり前で、それ以外の理由なんてわかり切っていることだとは思うが一応説明てみたユウに、レンが眉間に皺を寄せてどことなく渋い表情を浮かべた。


「そういう仲ってどういう仲か知らんが、恋人同士って意味なら、俺とセリアはそういうんじゃないからな?」

「……は」


 世間話の一環のような口調でレンは言ったが、ユウからしてみればまるっきり青天の霹靂のような話で思わず言葉を失ってしまった。
 ぽかんと半口を開けたまま言葉を失っているユウに、レンが知らなかったのかと苦く笑ったが、知らなかったとかいう問題ではない。そもそもだって。口走りそうになった言葉に、サリがそこにいることを思い出して慌ててそれを飲み込みはしたが、到底納得できそうな話ではなかった。
 不満げな表情を浮かべたユウが何を言おうとしたのか察したレンは困ったような、でもどことなく寂しそうにも見える笑みを浮かべて小さく首を傾げた。


「なんだろうな。気が付いたらそういう機会を逸してたっていうか、そのままなんとなく曖昧になっちゃったっていうか。……そういう関係を、分かってくれとは言わないよ」

「いや、あの……ごめん」

「謝られるとよけい惨めになるから、気にするな。まぁなんだ、反面教師にでもしてくれ」

「何の話デスかーっ!?」


 ユウの表情を見ながらレンが申し訳なさそうに肩を落とした。自分がどんな表情をしていたかは確認のしようはなかったが、レンを傷つけたことだけは分かったので、思わず口元を抑えてユウは顔を反らして小さく呟くように謝った。
 けれどレンは微妙に情けない顔をしてこの話はおしまいだとでもいうように片手を振り、情けない表情を誤魔化すようにその手で小さく自分の頬を掻いた。そんな二人のやり取りの内容がサッパリわかってないサリが、間に割って入る様に声を上げたので、レンはなんでもないよとそこで本当に話を打ち切ってしまった。
 それでもサリはしつこく食い下がってはいたが、レンはそれをなんでもないように受け流しつつ、話の方向をうまい具合に逸らしていっているのが分かった。しかもサリはそれに上手に乗せられているので、もうセリアの話題はまるでなかったことのように遠くへ置き去りにされてしまっている。
 すでにさっきまでとは全く違う話をする二人を見ながら、そんな風に誤魔化して話の流れを変えてしまう程度には、レンにもきっと触れてほしくない話なのだろうことはユウにも分かった。
 この二人がそれなりに深い関係なことは知っていたし、そういった行為に及ぶ関係はイコールで恋人とかそういった関係だからだと思っていた。でも実際、二人が付き合っているかどうかなんて確かめたことはなかった。そもそも確かめる必要を感じなかったのは、二人は付き合っていると思っていて、それに特に疑問を感じるようなことがなかったからだ。
 いや、まったくなかったかと言われるとそうでもないかもしれない。レンの交友関係を考えると、よくセリアは何も言わないなと思っていたことも事実ではあるが、レンはこと仕事のことになればかなりストイックな性格なので、あくまでもそういう交友関係も仕事の一環なのかと思っていた。感情にストレートなセリアが何も言わない分、余計に。
 言いたくても言えなかったのか。証明された関係ではなく、曖昧で不確定な関係の自分たちが、相手のすることにいちいち口を挟む立場ではないから。それとも本当に思慕の類はなく、ただそういう関係でいいと割り切っていたのか。
 でも。レンは機会を逸してしまったと言っていた。反面教師にしろとも。それは少なくとも、レンからセリアに対する感情は好ましいものだということなのではないだろうか。
 分かるのは、二人ともお互いにお互いへの想いを口に出したことがないと言うことだ。伝え合ったうえで、それでもそういう関係でいいという結論に至ったのなら、曖昧になってしまったなんて表現にはならないはずだ。ということは、想いになんのけじめもつけていないからこその曖昧なのだ。
 二人の間にどういう感情が働いて、それでも曖昧な関係を続けているのかユウにはわからないが、自分の型に当てはめた関係ではない愛情表現も存在するのだということは、なんとなくわかった気がした。それがユウの納得できるような関係では、ないのだとしても。


「ところでレン様。これからどちらへ行かれるんデスか?」


 ユウはサリの今更な発言でようやく我に返り、行先も告げないまま風俗街を歩き続けるレンを見た。ここへ来たのはもちろん、バハラタの名産品でもある黒コショウを探すためにやってきたはずなのだが、何故か連れてこられたのは黒コショウとは何の関係もなさそうな、うっかりすると目的を見失いそうになる店舗ばかりが並んでいる場所だ。
 きょとんとしているサリと困惑気味のユウをレンは交互に見比べると、彼はにやっと笑ってあそこだよ、と通りの奥を指さした。その指先を辿って行った細い路地の先にあったのは、やっているのかやっていないのか判断のつかない小さな店舗だった。
 人一人がやっと通れる程度の路地を縦に並んでようやく通り抜け、看板すらぶら下がっていないみすぼらしい店舗を見上げ、ユウとサリがぽかんとする。


「やってんの、ここ。ていうかそもそも店?」

「れっきとした店だよ。信用できるかの保証は、ないけどな」

「え、それハ……」


 肩をすくめたレンにサリが眉間に皺を寄せた。何か言いたげな彼女に、レンは唇をゆがめてその唇に人差し指を当て、静かにするようにというようなジェスチャーをして見せる。要するに大っぴらにはできない商売をしているということなのだろう。そしておそらくこの街には、そんな合法とは言えないような店などごまんとあるのだ。まだまだ駆け出し商人のサリには、あまり納得できるような話ではないようだったが。
 若干ぶすくれているサリの頭をレンは軽く叩き、今にも外れてしまいそうなほど立て付けの悪い扉を押し開ける。油もさされていないような扉を甲高い音を立てて開いた先にある店内はほの暗く、香でも焚かれているのか不思議な匂いが立ち込めていた。無造作に置かれた棚やテーブルには、商品なのかそうでないのかよくわからない雑貨類が雑然と並べられており、とても商売をしようとする気があるとは思えない状態だ。
 その店の一番奥、カウンター上に一つだけひっそりと灯るランプに、ゆらりと踊る影が浮かんだ。その陰の大きさにサリがひぃ! と小さく悲鳴を上げ、レンの腰のあたりにしがみ付いた。


「なんだい、人をバケモノみたいに」


 やがて影は徐々に小さくなり、物陰から小柄な女性が姿を現した。店のみすぼらしさからは考えられない、それなりに身綺麗な女性だ。指輪のちりばめられた手で、値の張りそうな長い煙管が煙をくゆらせている。店内に立ち込めている匂いは、この煙管だったらしい。若くはないがそれほど歳が行ってるようにも見えない。年齢不詳と言ったところだろうか。


「バケモノっていうか、魔女っぽいっていうか」

「何年振りかに来て人を魔女扱いとはいい度胸だ。この店でアタシに楯突くとロクなことにならないよ」

「いい意味で言ってんだろ。年取らないって事」


 しがみ付くサリを引っぺがしながらレンが肩をすくめる。最初は険しく眉間に皺を寄せていた女性は、苦笑したレンをひと睨みした後、おべっか言ってんじゃないよと不機嫌そうな口調で吐き捨てはしたが、口元は笑っていたのでそこまで機嫌を損ねたわけではなかったようだ。


「それよりなんだい。ここはガキが来るとこじゃないよ」

「ガキじゃないでス! 十六歳は立派な成人デスよ!!」


 唇をやや可笑しそうに歪めていた女性は、レンの傍にいるユウとサリに視線を向け、再び不機嫌そうに顔を歪めた。
 面喰って言葉を失くしているユウとは反対に、ガキという言葉に反応したサリが引け腰になりつつも反論したが、微妙に声が震えて裏返っていたので、しっかりその態度が虚勢であると言うことが見て取れていた。
 そんなサリを女性はへぇ、とにんまりと唇をゆがめて笑いながらしげしげと眺め、手にしていた煙管をサリに向かって突き出した。


「とてもそうは見えないけどねぇ……でもそういう趣味の客も多少いるし、見た目と年齢にギャップがあるから高く売れるよ」

「う……売る……?」

「ここがどういう場所に建ってるか、見て来ただろう?」


 おびえる様に縮こまって再びレンにしがみ付きながら、サリが低く呻る様に聞き返すと、女性はますます意地の悪い笑みを浮かべ、芝居がかった手振りで煙管をゆっくりあたりを指し示すように振り、歪めた唇まで戻して首をかしげて見せた。その怪しさを極めた動きは本当に魔女の様だ。
 そしてどうやら彼女の話は、サリを娼婦館へ売り飛ばす算段の話らしい。サリは大きく身震いしてますます強くレンにしがみ付いた。しがみ付くサリの頭をなだめる様に叩きながら、レンが呆れた顔で手を振った。


「子供を売りに来たわけじゃないって。ちょっと事情があってな。黒コショウを探してるんだ」

「この店に来るのはみぃんな、事情のある連中さ。日用雑貨に風邪薬から傷薬、よく眠れる薬に媚薬もある。堕胎剤だって需要が高い」

「だっ……堕胎剤!? そんなものなんで! だって、せっかく芽生えた命なのに、誰がそんナ……!」


 女性は長い指を折り曲げながら店で扱っている商品の一例をあげて聞かせたが、最後の言葉にサリがぎょっとしたように目を見張り、表情を険しくて声を荒げた。
 しかしサリの言葉の最後を聞く前に甲高い音が店内に響き渡ったので、ユウとサリが思わず肩をすくめて強張った。見れば女性が手にしていた煙管をカウンターに叩きつけ、さっきまでの穏やかだった目つきは一変し、酷く冷たい鋭い目つきでサリを睨んでいる。その鬼気迫る雰囲気に、サリは泣きそうな表情を浮かべて身を縮こまらせた。


「言っただろう? この店がどういう場所に建ってるか見て来ただろうって。せっかく芽生えた命? そんなことはね、ぬくぬくと平和に何の不自由もなく生きて来た人間の言う台詞だよ」


 女性はカウンターに叩きつけた煙管を鋭くサリに向け、心底バカにするように笑っておめでたいガキだよと吐き捨てた。


「この街の女はね、口減らしに売られてきた子や攫われて売られた子もごまんといる。どこに? 決まってるだろう。到底合法とは言えないような娼婦館が主だ。そこで客を取らされ、ろくに避妊もさせてもらえないような子が辿る道なんて決まってんだろう」


 言わなくてもわかるだろうとでもいうように、女性はまくし立てていた言葉をいったん切った。
 サリは相変わらずおびえた表情のまま凍り付き、泣き出すのを堪える様に唇を噛んでいる。
 少女がしがみついているレンにユウはちらりと視線を送ったが、レンはただ僅かに眉間に皺を寄せているだけで、特に女性を制止するようなこともしようとはしていない。
 知る必要のないことだとすれば、きっと彼なら自分たちには関係ない話だと止めてくれるはずだ。それをしないということは、彼女の語る話は知る必要のある現実なのだ。自分たちの知らない、だから知る必要のある、この世界の現状の一つなのだと言うことなのだろう。
 ユウはぐっと唇を噛んで女性を見た。女性はユウの視線に気が付き、少し驚いたような顔をしたが、すぐに表情を険しくして短く嘆息した。


「内で扱う堕胎剤は、そういう子たちが使う薬だ。望まない行為の果ての望まない妊娠。それでもいつか自由になるために、家族を守るために、彼女たちは自分を切り売りする。……それでも昔はこんなじゃなかった。バラモスなんて馬鹿が現れる前は、もっとマシだったんだ。全部バラモスが悪いとは言わない。でもあんなのが出てきたせいで、そういう道を辿る子が増えたのも確かなんだよ。可哀想だの酷いだのなんて言葉はね、そうやってそれでも懸命に生きてる彼女たちを侮辱する言葉だ。覚えておきな」


 言いながら煙管を引っ込めた女性に、サリは涙目のまま何度も首を縦に振り、レンの腰のあたりに顔をうずめて小さく肩を震わせ始めた。
 おそらく泣き出してしまったのであろうサリを横目に、じっと話を聞いていたユウが、どこか疲れた様な顔をしてカウンターにもたれかかる女性に向かって一歩前へ踏み出す。それに気が付いた女性が、訝しそうに眉をひそめ、あんたは、と呟くように口を開いた。


「見たことある顔だ……昔……そう、オルテガだったか……館の子たちが騒いでたことがあった。客としては来なかったけど、見かけたとかって色めきだってたね」


 こんなとこでも有名人とは。思わずユウは苦笑してしまった。
 確かに写真などで見る父は凛々しい顔立ちをしていた。母に言わせれば、あれ以上の男は居ないということらしい。そりゃあ母は父にほれ込んでいたのだから、ひいき目に見ればそうだろうとは思っていたが、娼婦の間でも話題に上るとなれば、母の言うことはあながち間違いでもないのだろうかと考え、それではよく父に似ていると言われる自分を自画自賛するのと同じようなものだと思いいたって、慌ててその考えを振り払った。


「自分は息子です。父に代わり、バラモスの討伐を目指しています。その過程でどうしても、黒コショウが必要なんです。取り扱っているのなら、売ってはもらえませんか?」

「バラモスを?」


 お願いしますと頭を下げたユウを、女性は目を見開いて見つめ、そのままその視線を本当かというようにレンに向ける。笑って大きくうなずいたレンを女性はしばらく見つめ、再びユウに視線を戻した。
 どこか見定めるような鋭い目つきで自分を眺める女性を、ユウが物おじせずにじっと見つめ返していると、女性はやがてふっと表情を崩して肩を落とした。


「なるほど……昔オルテガもそうして旅をしていると聞いてね、バラモスが本当に倒されるかどうかみんなで賭けをしてたこともあった。アタシは無駄な賭けだと思ってその賭けは乗らなかったけど、いいさ。アンタには賭けてあげるよ」

「え?」

「持ってきな。本当なら数万は貰いたいところだけどね。お代はバラモス退治って事にしてあげるよ」


 無駄とはどういう意味か。オルテガでは力不足だと女性は思ったのか、それとも倒されると目に見えているからこそ賭けるなんて無駄だと感じたのか。そう聞く前に女性は小さな革袋をユウに向かって放り投げた。それを慌てて両手で受け取り、きょとんとしてレンを見上げる。レンはおかしそうに笑いながら、良かったな、とユウの頭をぐしゃぐしゃと撫でまわした。
 撫でまわされた頭を不本意そうに撫でつけながら、ユウは何が、とハスを尖らせて低く呻る。彼は決まってんだろ、と今度はそんなユウの背中を軽く叩いた。


「認められたって事だ」


 レンの言葉に暫くきょとんとして瞬きを繰り返し、もう一度女性を見ると、女性はどこか優しそうに笑って頷いて見せてくれた。
 なんとなくくすぐったいような気分になり、ユウははにかんだように笑いながら、女性に向かってありがとうございますと小さく頭を下げた。
 女性はゆっくり頷くと、レンのしがみ付いたまま顔を上げなくなったサリにアンタ、と声をかける。その声に少女は肩をビクリと震わせ、おそるおそる顔を上げて女性を伺うように見上げる。


「こんなご時世だ。耳をふさぎたくなるような話なんていくらでもある。それでもね、みんな懸命に生きてるんだよ。商人はね、そういう人たちの助けにならないといけない。どんな汚い商売でも、それを必要としてる人間がいる。全てじゃないが、それでも必要な悪ってのはどこかしらにあるもんだ。覚えておきな」


 女性は優し気に目元を細め、わかったかい? とサリに語り掛けた。少女は面喰ったような表情をしていたが、思うところがあったのかきゅっと表情を引き締めて、力強く頷いた。それを見た女性も満足そうに頷くと、後は店に来た時と同じような、どこか不機嫌でけだるそうな表情を浮かべて手にした煙管を口にくわえ、もう用はないとでもいうようにひらひらともう片方の手を三人に振って見せた。
 遊びに飽きた様に興味を失ったような女性にレンは苦笑しながら一礼し踵を返すと、サリも慌ててそれに倣って頭を下げて小走りでレンに追い付いて店の扉をくぐっていく。
 最後にユウも頭を下げて店を出ようとしたところで、女性がそれでも、と誰にでもなくぽつりとつぶやくのが聞こえたので思わず足を止めて女性を振り返る。


「望まなくてもね、芽生えた命に愛着は湧くんだよ。でも娼婦が生んだ子どもの辿る道なんて決まってる。女児なら特にね……昔ならそれでも里子にでも出せたが、こんなご時世だ。外に出したところで養ってくれるとこはない。みんながみんな、自分の生活で手いっぱいだからね。誰もが好きで堕胎するわけじゃないんだ。できるなら産んで育ててやりたい。幸せにしてやりたい。それができないから、そうするしかない……母親が安心して子供を育てられるようなご時世を、アタシは待ってるんだよ」


 振り返った女性はユウを見てはいなかったが、その横顔はどこか愁いを帯びた様な笑みを浮かべていた。彼女にも彼女なりの人生があったはずだ。それを経て来たからこそ彼女はこの店で、この街で働く女性たちの助けになるよう努めているのかもしれない。
 絶望の淵に立っている今の世界で、それでも少しでも誰かの助けになろうと働きかけている人たちが、こうして少なからずいる。そういう人たちの思い。そういう人たちに支えられて生きている人たちの願い。それを無駄にしたくはないと思う。いや、思えるようになってきた。
 少しづつ見えて来たこの世界に、ユウはなんとなく自分のしたかったことが分かってきたような気がして小さく笑うと、女性に向かって力強く頷き、店の扉をそっと閉めた。



20170115 初稿

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